それで騒ぐのはいつだって『リア充』だ。
この記事のインスピレーションの8割は妬みから来ています。
そんな大した話でもないので「思春期なんだなあ」とか考えながら生暖かい目で読んでください。
言葉通りのリア充とは
周知の通りリア充は読んで字のごとく「リアルが充実している」こと、ひいては生活、もしくは人生が充実していることを指す。しかし何時からかリア充はなぜか「彼氏彼女がいる」という意味合いになってきていた。
リア充分析の権家アンサイクロペディアによれば
また本来は「彼氏彼女がいる=リア充」ではないが、ネット住民にとって彼氏彼女は空想上の生物でしかないから、とりあえず彼氏彼女がいる人をリア充と判断する。
ということである。
僕の周りではリア充=彼氏彼女がいるの方が一般認識になっているし、本来の意味で使われることなど無い。滅多にとかそういうレベルじゃなく無い。
ここで、こんな今だからこそ、本質的なリア充、そして非リア充について考えていきたい。
僕は非リア
こんな記事を書こうと思ったキッカケは、去年のクラスの立ち位置について考えていたからだ。
手書きの見づらい表ですいません。
この様にクラスは大きく分けて5つ(その内何人かは兼任)にまとまったが、僕はどこにも属せなかった。ぼっちだ。
楽しくなかったというわけではない。正直一番生き生きしてて一番楽しかった、月並みだけど最高な一年間だった。そうじゃなきゃ僕は去年のクラスについて考えるわけないじゃない。
真面目に恋もしたし、仲良い人も何人もいる。
そして男子だけとはいえどこのグループにも顔が出せ、いい関係であったと思う。が、逆に言えばどこにも属しきれなかった、そう感じている。
そこに関して、僕はなんとも言えない妬みとか嫉妬、それか焦りのような感情を抱いていた。つまり、友達が何人いようと僕は非リアである。
僕の考えはこうだ。
本質的なリア充、そして非リア充とは
本質的なリア充
リア充は冒頭にも書いた通り「リアルが充実している人」で間違いない。
それは恋人がいるというだけでなく、友達とプリクラ撮ったりオシャレな所に行く女とか、友達とゲームアニメのことで盛り上がるオタクとか、同類同士でち○こ○んこの話題に夢中になっている変態なども含む。何がリア充をリア充たらしめているか、それは人との繋がりだと、僕は考えている。多さ関係なくいつも人との繋がりが太く、人との関わりで生活が楽しめている、それが本質的なリア充ではないだろうか。
本質的な非リア充
では非リア充とは。非リア充は文字通りリア充ではない人、リアルが充実してない人であなぜ非リア充になってしまうのか。
僕は非リア充とは生活に『空虚』を感じている人だと考えている。そっとタブを閉じる音が聞こえるけどもうちょっと読んでいただきたい。
非リア充になるステップを考えていただければお分かりいただけると思う。
非リア充はだいたいコミュ障や人見知り、どうしようもないバカだったりとかが原因で段々とぼっちと化していく。たまに友達と遊んだりしてリア充側に近づくこともあるが、そこまで長くは続かない。
そうなった時に、自分の世界に没頭でき、リア充をアウトオブ眼中にできるソロ充に自分を昇華できるならいいが、非リア充はそんなことできる訳がなく「リア充の仲間になりたい」「俺もあんな風になりたい」と妬み、嫉妬の視線でリア充を、あくまで遠くから見ている。その空虚なものを感じすぎ、そこだけに関心が行きすぎた非リア充は、リア充がどうだ非リアがどうだとかいう話に興味を示さない。『空虚』を感じすぎてそういう話に興味を持つ余裕もない。そしてぼっちと化して人との関わり合いが気薄になった非リア充にはそういう話に縁は無いし、話の中に入れる人脈、度胸、などといったものは無い。
それにそういう話をするのはいつも部活に恋愛に友達に大忙し! なリア充達。
そう、リア充だ非リアだと騒いでいるのはいつだって『リア充』、生活が充実している奴らだけなのだ。
どこのグループにも属せず、誰ともあまり深い関係になれない僕の様な存在はまさに『非リア充』。
彼氏彼女が欲しいとかリア充だ非リアだと話がなんだというんだ。自分は非リアだと言ってるがそんな話をしてる時点でお前らは『リア充』だぞ。
最後に
つまりは非リア充の恨み嫉みが書きたかっただけなのです。こんなんだから『リア充』になれないんだよなあ。
まあこういう事を思ったのも多分思春期だからなので、子育て本を読んで冷静に分析しようと思います。
ちなみに、この本によれば思春期男子はとにかく群れたがるそうです。そしてシャイな僕はどこにも属しきれず悶々としてこんな記事書いたわけだ。ニョホ。
というわけで、これからもこんなゴミを量産していこうと思います。
では今日はこの辺で。
完(termination)