termination

裏庭の穴に溜めすぎた生き恥の集合体

前が見えねェ(未来)

日記、あるいは長めの病みツイ

気付いたらこんな時間である。
大学4年後期にもなって週4で大学に通っているのは大丈夫か?と常に考えてしまう。
前向きに通っているわけではなく、必死になって通っている。しかし後期が始まって今のところ全ての授業を遅刻あるいは欠席している。それでいいのか。
今日も起きることができず授業を休んでしまった。いよいよ卒業が難しくなってきそうだ。よくない。「よくない」とだけ書いていると口先だけな感じがする。でもそれ以上に表現する語彙を持ち合わせていない。

久々に外出しない1日を作ったら、外に出なきゃいけない日に外に出れなかった。
ひとえに夜更かししてしまったからなのだが。

先月受けた心理検査の結果がこの前返ってきた。こういうことを殊更に書くのは良くないとは思っているが、記録として。
IQの数値は平均より高めだが得意不得意の差が激しく、特に処理速度が平均より低い。他は平均~平均より高いとか平均以上とか。
この得意不得意の差から生まれる自己肯定感の低さとかにずっと苛まれている。そして発達障害と不安障害の診断が出た。
計算が苦手という意識があり心理検査中もそれがずっと引っかかっていたが、数値的には全然平均ぐらいはあるらしい。でも自信は全く追い付いていない。
ある意味外からのちゃんとした判断が出たので、自己流で生きるよりも楽というか、それに対してどう対策するかの指針ができた気がするのでよかったとは思っている。

18歳まで抱えていた諸々が、大学入ってからの4年間で少しずつ改善してきている気がする。とはいえ多少マシになった程度でこの感覚はまだ拭えない。
自分のバリューというか他者からの評価みたいなものをちゃんと飲み込むことができない。そこに自信が追い付いていない。

昔作った動画の振り返り記事を今更書いた。

sjgqp789.hatenablog.com

欅坂46の項目で全然関係ない秋元康の悪口をたくさん書いてしまってさすがに削った。でも秋元康のやり方何もかも好きじゃないし。プロデューサーとしての手腕は確かだけどそのやり口とか、とにかく「売る」ための魂胆が剥き出しになっているのが全く肌に合わない。『あなたの番です』それ自体も好きじゃなかったがそれが考察でウケたからって『真犯人フラグ』であからさまに「考察」を押し出した宣伝をしていたのが気持ち悪くてしょうがなかった。佐久間宜行ANN0の愛聴者として悪い気もするが、『青春高校3年B組』で「俺のベビースターラーメン」を出した時もなんかその展開の仕方があざとすぎると思ってしまった。最初聴いた時は爆笑したけど。閑話休題

けもフレ自体から離れて久しく、3辺りの動向は友人のツイートからしか知らない。
とはいえ未だに「けもフレ2期まだかな」という戯れをしているのを見るとムカついてしまってしょうがない。3話で満足して視聴をやめてしまった自分が言えることではないがアレこそが2期であるだろう。
なんというか、アレとか『チェンソーマン』のアニメとかダイパリメイクとか実写『デビルマン』とか『大怪獣のあとしまつ』みたいなオタクの中で「叩いていいもの」と認定したり、それによって連帯を得るコミュニケーションとかが苦手すぎて中々しんどい。

こうしてひたすら自分の現在や過去を振り返り続けているが、未来が全く見えない。
未来が見えないし、そこを生きるのが自分であるという実感、自分の未来への責任を感じられない。
自分がなんらかの未来や将来を生きているというのが想像しづらく、刹那的かつ虚無的に今を生きているという実感だけが残っている。死ぬのはとても怖いし今死んでも好きな音楽やラジオを聴いたり動画や映画を観たりできなくなるので生きているが、それ以上の生きるモチベーションというものがあまりない。6月ぐらいに今すぐベランダから飛び降りてやろうかと考えた時期が1週間ほどあったが、それは寝食を無視して『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』をやることでどうにか乗り越えた。
将来設計というのが昔から苦手で、受験の類はまるで力を入れることができなかったし、かといって自分が夢中になっているもので身を立てようとすることも自信がなくてできなかった。今でもそんな感じである。
そんなだからこんなことになっている。大学の単位を落とし続けていることも、出席できないことも、バイトを探すモチベーションが湧かないのも、とにかく自分の未来への責任感がないためかもしれない。これで人と関わろうとするのはとてもおこがましく思えてしまう。

こんなことを考え、さらにこうして書き出していて、自分にも周りにも申し訳なく思えてきた。このような人間に付き合いたいと思える人間がいるのだろうか。
まだ友人関係とかもあるので全然いるとは思うのだが、それは理屈あるいは思い込みでしかないと考えてしまう。現に、今書いた自分の文章へ反論するために頭に浮かんだものでしかないので、気を抜くとこのような考えにずっと陥る。

心理検査にしてもこうした生きること云々とかを考えていると、「そんなことはない」と頭では分かっていても心が追い付かない、ということがままある。そこをちゃんと擦り合わせたい。

繰り返しになるが自分で文章を見返していてとても申し訳ない気持ちになってきた。でも今の自分の現状を少し書き出せたのでよかったのかもしれない。
自分の劣等感とか自己肯定感の低さといった心情を書き出すことがこのような日記を書く営みだとすれば、それを受け止めて和らげていくこと、ある種の肯定をする営みが音楽などの創作であるという、自分の中での位置づけがなんとなく見えた。
自分の肯定が誰かの肯定に繋がるようなものを、作っていきたいものですね。

このままだとダラダラと長々くねくねした文章を書き続けてしまいそうなのでここで切り上げよう。
本当に書かなきゃいけない卒論の序論とか動画の編集とかもあるし。
明日もこのようなくねくねした日記を書いてたら同じかもしれないが。

親戚のLINEを未読無視している。返さないといけないがテンション感が分からず返しづらい。つまりはめんどくさい。