termination

裏庭の穴に溜めすぎた生き恥の集合体

逆張りで使っていない言葉を積極的に使う日記

今日も寝坊して授業を欠席した。何かせねばと思ってとりあえず外に出ているが、特に何かが進んだ実感もない。
とりあえず目覚ましをかけることから始める。毎日寝る前にかけ忘れる。
起きれないことが分かってるのに眠れないの、なぁぜなぁぜ?

日記を書き始めたので日記を書き終えてから帰ることとする。
単に日記を書いているだけでも飽きてしまう気がしたので、使うことを避けている言葉をあえて積極的に使ってみる。

何もかもに逆張りしているわけではない。King Gnuはずっと好きだし髭男もたまに聴く。藤井風も普通に好き。ちいかわも普通に楽しんで読んでいる(島編の最初は「大丈夫か?」と思ったがセイレーンが出てきた辺りから物語のドライブ感がすごすぎてずっと面白い。並のちいかわアンチよりもナガノの方がちいかわを不憫な目に遭わせられるから本当にすごい)。鬼滅の刃は単純に食指が伸びない。
逆張りオタクへの逆張り」みたいなものがひどい。音楽で言えばキリンジくるりceroを聴けていない。最近だと好きだったGEZANも少しそこに片足を突っ込みつつある。

前に「逆張りオタクへの逆張りオタク」であることを話したら「キモすぎる」と言われた。何も言い返せない。

こんなにも自己肯定が伴わなくて生きづらいの、なぁぜなぁぜ?
芥川の言うところの「ただぼんやりとした不安」が常に付きまとっている。何に対してもそうである。やることなすことに不安がつきまとう。

逆張りにしても生きづらさにしても、このような感覚を教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育した方がいいのは分かっているが、実感が伴わないから追いつかない。

「つらい!」「生きづらい!」みたいなことを書き散らしていても別にもっと辛い状況である人間というのはいるわけで。自分はかなり恵まれた立場にいることは分かっているが、生きづらいみたいな考えに陥ってしまうと中々そこから抜け出せない。
他人が周りと辛さを比較して落ち込んでいると「それは比較するものじゃない、大事なのはまず自分の辛さだけでありそれをどうするのかだ」ということを言えるが、自分自身にその言葉をかけてあげられるほどの心構えがない。自分にその言葉をかけられないのに他人にその言葉を投げかけるのは中々に責任感がないので、嘘でも自分にそう投げかけていくつもりだが。こう思うことで
極論を言えば人との関わり合いを全て遮断すればいいのだが、それは極論すぎるし、人は1人では生きていけないものだ。それに自分は1人で生きれるほど強く賢い人間ではない。

後追いで「音MDM天」の動画を色々見ているが、音MADという範疇を越えた作品が多いがまぎれもなく「音MAD」なのですごい。2000年代から蓄積されてきたこの文化の到達点みたいなものを見ている気がする。なんか色々と学術的に語れそうだが自分にはまだ知見がない。商業性とは正反対の営みにこれだけの力を入れられるということにUGCの概念が出て以降の議論を絡められそうではある。でもまだそれを語りつくせるほどの知見がないから(震え声)

もう1000字超えてるしいいかな。帰るか。やることあるし。寝ないとだし。知らんけど

 

備考

いざ逆張りで使ってない言葉を使おうとすると中々出てこない。

  1. なぁぜなぁぜ?
    なんとなく逆張りして使っていない。同じカテゴリに入るであろう「はにゃ?」はなんか言えるが流行が過ぎたので使いどころがない。
  2. 教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育
    実際に被害を被った人がいるので使う気が起きない。
  3. (震え声)
    何かを境に淫夢語録を使うことが寒いものだと感じ始め使うのを避けている。この前書いたようジャパ団体ツアーの記事も、当時の文章にいくつか入っていたので徹底的に削除した。
    淫夢はニコニコの中で終わらせるべきだったのにじめじめしたインターネットと現実が地続きになりだした時期に流行ったためか規模が大きくなりすぎてしまった。
  4. 知らんけど
    言われたら不快なので使っていない。この一言で全ての責任を放棄できるようなニュアンスがありムカつく。

ニコニコの中で完結してノリが広がりすぎていないという点も含め、ニコニコのMADだとモーレスターが好きです。
hikakin_maniaも似たようなノリで見たとき笑ってしまったが、自分が「ヒカマニを見て笑っている22歳男性」ということに自覚したときそのおぞましさに絶望しかけた。